人生の三つの真実

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最近、やたらと本屋さんへ行くと飛び込んでくる題名「100年時代」いやはや、怖い話です。

私達は、自分の親が年老いて行く姿を見て、自分にもやがてくるその時代を怖く思う事があります。

多かれ少なかれ認知症に向かう親を見て、その姿に「恐さ」を感じて、さらに追い打ちをかけるのが「経済力」です。

今の親ほどの年金が無い事ははっきりと分かっています。そこに100年時代ですか?
これほどの恐怖はありません。

「できれば100年は生きたくありません」そう思う人は、わたくし達よりもまだもっと若い人は尚更でしょう。

「100年時代」をことさらわたくし達に向けて発信していくメディアは、わたくし達にどうあれ。と言っているのでしょうか?

「100年時代が来るよ。上手に今の仕事からシフトチェンジするんだよ。先は長いからね」とそういう事でしょうか?

100年に備えて、健康の維持、定期健診、貯蓄を訴えます。先の時代が分からないのに、事前に備えようも無い事にあーした方が良い、こーした方が良いという提案が示されるそういう時代ですが、

それもこれも個人の「気の持ちよう」という部分に尽きるのでは無いかと最近思うようになりました。

だって、将来は分かりません。お金は貯めている方が良いでしょうか?元気なうちに使ってしまう方が良いでしょうか?あるいは、大事に貯めているうちに大きな災害があり、お金の価値が変わってしまう事は無いでしょうか?自分の寿命はいつまででしょうか?

健康はどうでしょう?ある程度の運動は必要でしょう。しかしある程度以上の運動は逆に必要ではありません。それは100年とはまったく次元の違う話です。

そこで、先の分からない100年を思うより、いかに濃ゆい人生を生きるか?が大事であると考えられます。

濃ゆい人生とは、「人生の密度」が高い事。と言われる事もあります。しかし密度と言われるとまたこれ、異常にその意味の深さを探したくなるものです。

難しい生き方を選ぶ必要は無いと思います。
誰にも遠慮せず、楽しく生きる。それに尽きる。それに早く気付くべきです。

働き甲斐のある仕事に取り組むのも良いですし、生き甲斐を感じる趣味も良いでしょう。しかしそれらは一般に充実した毎日の同義語のように使われる言葉で一般論でしかありません。

世間一般に定義つけられる論議に無理に自分の楽しみを当てはめることはありません。

ただ、「楽しく生きる」事を遠慮せず行う。「楽しく生きる」とはどうするのか?が分からないときは、次の言葉を受け入れてみましょう。

人生の三つの真実です。
人は必ず死ぬ。人生は一度しかない。人はいつ死ぬか分からない。

だから?楽しく生きる為には「今日、どうするか?」と思うだけです。
夜が来て1日が終わる頃、「今日はあれをして良かったな!」と一言うなづけたらOK。

そんな風に生きてみましょう。

葉月硝子

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